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第15回 十勝24時間レース
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2007年のスーパー耐久
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PROFILE
■佐藤 清治 選手
宮城県に本拠を構えるスワローレーシングの代表。N1耐久の時代から参戦を続けており、近年は十勝24時間レースに的を絞った活動を展開。
近年はレースオフィシャルとしてセーフティカーやドクターカーのドライバーも努めている。
−佐藤選手のモータースポーツ歴から教えてください。

佐藤選手 :
若いころは自分の車で当時千葉県にあった船橋サーキットを走ったりもしていたけれど、ウチの近くにあるスポーツランドSUGOで4輪のレースを始めるっていうんで子供たちを連れて見に行ったのがきっかけ。意外と簡単にみんな走っているもんだから、翌年から自分でも出てみたのね。
それが1980年、自分が32歳の時。だからウチのゼッケンは「82」で始めた。時には規則の関係で前後逆にして「28」にしてみたりね。
レースに出ても後ろの方ばっかり走っているようならとっくに辞めていたんだけれど、出るたびに順位があがっていくもんだから、そこから"ドツボ"にはまっちゃったね(笑)。
 
−そして現在のスーパー耐久の前身であるN1耐久に参戦する、と。

佐藤選手 :
当時、地元のSUGOや仙台ハイランドで開催される地方シリーズに出場していて、シリーズの最後に盛大にお祭りとして長い距離のレースをやろうよ、って自分が言い出したの。
やってみたら盛況で、そのうち関東あたりから遠征組も来るようになって、それが現在のスーパー耐久の原型になった。
だからスーパー耐久の歴史は佐藤清治抜きでは語れないってことだよ!(笑)
 
−佐藤選手が考えるモータースポーツの魅力とは?
 
佐藤選手 :
他のスポーツと違って、モータースポーツにはプロフェッショナルとアマチュアの垣根が無いでしょ。両者が同じ土俵にあがって戦えるというのはモータースポーツならではの世界。
もちろんテクニックや資金力の面などでプロフェッショナルとアマチュアには大きな違いがあるけれど、特に長い耐久レースであればアマチュアがプロフェッショナルに勝てる可能性が高くなる、その辺が魅力だね。
 
−これまでの十勝24時間参戦で記憶に残っている戦いは?
 
佐藤選手 :
1997年、2台体制でウチのチームは参戦して、自分が乗っている車が3位、もう一台が優勝したんだけれど、2位のチームと優勝のウチの車の差がたったの5秒っていうことがあった。
余りにも激しい戦いだったから、ウチのドライバーが一人、疲れ切って表彰台に立てなかったくらいだったんだから。
 
−レース中のハプニングやエピソードはありませんか?
 
佐藤選手 :
2位を2回獲得したことがあるけれど、実はそのうちの1回は優勝できたレースだった。
ところが俺が乗っている夜中、霧で1時間以上もセーフティカーが入ったんだ。その間にトイレに行きたくなって、もう我慢して、我慢して。
そのうちレースが再開されたけれど、どうにもならなくなって緊急ピットイン。あの"事件"が無かったら勝てたね(笑)。
でも、外国人のドライバーって平気で走りながらでもしちゃうらしいけれど、さすがに俺には出来なかった。出そうと思っても出ないもんだよ(笑)。
 
−スワローレーシングといえばレース中の美味しい食事が気になりますが・・・。
 
佐藤選手 :
元々は参戦経費を抑えるために始めたんだけど、サーキットにキャンピングカーを持ち込んだり、チームスタッフの食事を自炊でまかなうようにしたのはウチが最初じゃないかな。今ではどこのチームも自炊しているみたいだけどね。
朝から湯気の出ているご飯をピットで食べられるというのは、ドライバーやメカニックにとってありがたいこと。
これはウチの女房が一所懸命やってくれているから出来ていることなんで感謝しています。
 
−第1回からここまで24時間レースを戦いを続けてきた理由とは?
 
佐藤選手 :
自分で「24時間レースをやりたい!」って言い出したことがあったので、言い出しっぺとして参戦し続けているという面が実はあります。
でもやっていると辛いことも多くて、何度も「今年で最後にしよう」という衝動にかられたのも事実。
ところがシーズンに入ると周りの人から「今年も走るんですよね、応援しますよ」って言われると、自分でもその気になって、という繰り返し。
それにやっぱり、出場して24時間を走りきって、チェッカー後にコースサイドのオフィシャルから旗を振って讃えてもらうと、自然と涙が出るくらいに感動する。だから続けてこられたんだよ。
 
【Seiji Sato TOKACHI 24Hours Result History】
大会
総合順位
クラス順位
周回数
ドライバー
第1回
(1994年)
19位
class 3
6位
839
佐藤清治
中谷誠志
佐藤  淳
 
第2回
(1995年)
22位
class 4
10位
539
佐藤清治
中谷誠志
佐藤  淳
高木雅宏
第3回
(1996年)
-
class 4
リタイア
359
佐藤清治
関谷輝明
松浦竜也
 
第4回
(1997年)
14位
class 3
3位
532
佐藤清治
関谷輝明
佐藤  淳
藤島  誠
第5回
(1998年)
9位
class 3
2位
551
佐藤清治
関谷輝明
佐藤  淳
新井一男
第6回
(1999年)
10位
GN+ class
2位
560
佐藤清治
関谷輝明
小島  康
佐藤  淳
第7回
(2000年)
26位
GN+ class
5位
516
佐藤  淳
関谷輝明
佐藤清治
磯田尚孝
第8回
(2001年)
19位
class 4
5位
562
関谷輝明
斉藤正司
佐藤  淳
佐藤清治
第9回
(2002年)
26位
GN+ class
6位
384
佐藤  淳
斉藤正司
磯田尚孝
佐藤清治
第10回
(2003年)
14位
class 4
4位
863
佐藤清治
関谷輝明
斉藤正司
関川秀樹
第11回
(2004年)
29位
class 4
10位
749
佐藤清治
関谷輝明
斉藤正司
関川秀樹
第12回
(2005年)
20位
class 4
3位
844
二瓶治彦
関谷輝明
白石  隆
佐藤清治
第13回
(2006年)
-
class 4
非完走
615
二瓶治彦
関谷輝明
白石  隆
佐藤清治
第14回
(2007年)
18位
class 4
5位
527
佐藤清治
関谷輝明
伊藤英治
関川秀樹
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