スーパー耐久シリーズの歴史を紐解いていくと、1980年代に全国各地のサーキットで盛んに行われていた「N1」というレースカテゴリーにたどりつく。
現在も「N1」というカテゴリーは存在しているが、これは改造範囲が厳しく制限されたカテゴリー。
市販車をベースにレースに不要な快適装備などを取り外した上で、ロールケージ等の安全装備を施したレース車両である。
この「N1」はアマチュアレーサーが楽しめるカテゴリーとして全国で開催されていたが、徐々にレベルもアップしていく中で、全国を転戦するシリーズ設立への機運が高まって行った。
そして1990年4月、仙台ハイランドで「'90 第1回 ハイランド300km耐久レース」が開催される。N1カテゴリーの車両が上は日産スカイラインGT-Rから小さい方ではトヨタスターレットまで39台が参戦、この時の記念すべきウィナーには都平健二選手/木下隆之選手組のGT-Rが輝いた。
その後、同年は全4大会を開催。これらは翌1991年に正式発足する「N1耐久ラウンドシリーズ」のプレ・シーズンと位置づけられている。
1991年1月20日、鈴鹿サーキットで開催された「鈴鹿300km & FJレースフェスティバル」から正式に「N1耐久ラウンドシリーズ」が発足。
開幕戦となった鈴鹿は清水和夫選手/原貴彦選手の「コニカ・ファルケン・GT-R」が制して、現在に至る歴史の第一歩が踏み出された。
1993年5月に十勝インターナショナルスピードウェイがオープン、同年6月にはシリーズの一戦が400kmで競われた。25台が参戦したこの時の勝者は、総合(1クラス)が都平健二選手/河合博之選手の「BOSEスカイラインGT-R」。クラス2は土屋圭市選手/飯田章選手の「コカコーラ・プレリュード」、3クラスは山本泰吉選手/斎藤慎輔選手の「レッツォ・トランピオ・シビック」であった。
そして翌1994年に「NICOS CUP 第1回 十勝24時間レース」が開催される。つまり十勝において24時間耐久以外で競われたスーパー耐久(N1耐久)は、オープンした1993年の1回のみである。
さて、N1耐久シリーズはJAFの全日本選手権としてではない独自のシリーズ展開をしているが、これは主催者と参加者がひとつになってシリーズを造り上げているとも言える。
規則についても時代に合わせた柔軟な対応をしてきており、近年では市販エアロパーツの装着解禁やブレーキの自由化など、アフターパーツマーケットとの連動も強化されている。
こうした発展に伴い、N1カテゴリーをベースとして独自の道を歩み始めたことから、1996年にはシリーズ名称を「スーパーN1耐久シリーズ」と改め、更に1998年からは現在に至る「スーパー耐久シリーズ」となった。
1991年の発足からあと3年で20周年を迎える「スーパー耐久シリーズ」。
経済情勢など時代の変化が激しい中、20年という歴史を積み重ねてきたレースカテゴリーとして、ますますの発展が期待されている。